2016年10月9日日曜日

純粋な考え方の危うさ

 私は終戦時に価値観の大転換を経験して以来、純粋に一つの考え方を信じることが出来なくなったことを、以前ここに書きました。その考えを後押ししてくれた人が二人います。一人は大学の1年先輩の政治学者・故・高坂政堯(こうさかまさたか)さんです。天才肌の人で私のような凡才の近寄り難い存在でしたが、明確に教えてくれたことがあります。

 それは、「例外のない原則はない」「ある真実はその背景事情如何で成立しなくなることがある。」ということでした。だから、盲目的に何かを信じる前にいろんな吟味をしてみることに意味があると自信を持って言えるようになったように思います。この原則を成立させている要件は何か?と問いかける余裕を持たせてくれます。

 もう一人は私の私淑している故・山本七平さんです。私より14歳も年長の評論家でした。まるで私が信じて来た価値観を彼はいとも簡単にひっくり返してくれました。ユダヤ人の世界では「全員一致の事柄は無効になる」、「水と安全は極めて高価なものである」といったことに始まり、中国の古典から旧約聖書の時代まで実に広い知識をお持ちでした。


 山本さんご夫妻と親しいお仲間のイスラエル探訪に無理やり1週間同行させていただき、旧約聖書の歴史、思想を現地で学ばせていただきました。単なる神話の世界でなく、どういう時代背景からどういう思想が生まれたのか、学校では教われないことを学びました。お二人とも残念ながら「佳人薄命」。馬齢を重ねている私は、とても残念に思います。

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